もう一月も最後の週です!長い1ヶ月でしたか?それともあっという間の1ヶ月でしたか?
クリスマスの事を持ち出すと時期外れなので笑われそうですが、昔ある友人に、クリスチャンは毎日がクリスマスであり、イースターなんだ、と言われたことがあります。それは毎日行事をする、という意味ではなく、生きるのにはキリストの生涯・十字架・復活が不可欠だ、ということでしょう。
ともかく、そのクリスマスに必ずと言っていいほど良く引用されるイザヤ書の言葉があります。先月は色々な教会のキャンドルサービスで読まれた箇所だと思います。そこにはイエス・キリストについての4つの姿が語られています。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
イザヤ書 9:6
当ウエブサイトの「ゆく年・くる年」ではキリストの平和を今年のチャレンジとして掲載させて頂きました。ですから、その「平和」という言葉を少し掘り下げてみたいと思います。今年こそは世界が平和で、心を平安に持って過ごしたい、と願いを持っているでしょうね。それでも戦争や紛争は続き、疫病はおさまらないかもしれません。では平和・平安は体験するのは夢物語でしょうか?
キーワードは、イエスが「平和の君」と表現されていることです。
「平和」はヘブル語の原語では「シャローム」という言葉です。イスラエルでは日常の挨拶として使われている言葉でもあるそうです。人に会うと、「マー・シャローム(あなたのシャロームはどんな調子?)」という感じで挨拶するそうです。それくらい日常茶飯事的に使われる言葉ですが、聖書的には大変意味深い言葉です。
シャロームは単に、「戦争や争いのない状態」とか「心が落ち着いている」というだけを意味する言葉ではありません。もっと広い意味合いを持つのです。それは、この「平和」が神様と密接に繋がる言葉だからです。シャロームは神様と繋がっている健全な状態、満たされた状態、繁栄などの意味を含んでいます。
旧約聖書で神がモーセに数々の命令をする箇所があります。モーセの兄アロンは、祭司としての役割を担うのですが、神は、アロンは民のためにこう祝福を祈れ、と命じます。
「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
民数記 6:24-26
この箇所は教会礼拝の終わりに祝祷として祈られることが多い一節です。さまざまなクリスチャンシンガーがこの箇所を歌にしています。
この箇所で「平安」を祈り求めるのですが、旧約聖書・ユダヤ教学で知られる Lois Tverberg先生は、彼女のWEBブログでその「平安」についてこう書いています。(日本語は筆者拙訳)
「… it is a much broader, wider blessing that we may think, talking about God supplying our physical and material needs as well as our emotional needs. それは私たちが考える以上にもっと幅の広い、祝福を意味しています。神が私たちの身体上の、物質的な、そして心の必要性を全て満たしてくれる、と語る言葉なのです。」
Lois Tverberg, https://engediresourcecenter.com/2015/06/30/shalom-peace/
私たちは自力でシャロームは達成できませんが、私たちが神に目をむけ、心を開き、神しか与えることの出来ないシャロームを受けるのです。願わくば、このキリストの平安が深くあなたの心に届き、神が共にいらっしゃるがゆえに、恵みと祝福の年を過ごすことが出来ます様に。