毎週水曜日は教会のスタッフが集まり祈祷会を持ちます。週ごとに具体的な内容は異なりますが、7月5日はリーダーが詩篇18篇からレクチオディヴィナの時を持ちました。レクチオディヴィナについては当ウエブサイトで紹介しましたので詳しくはそちらもご覧ください。
https://nihongobiblestudy.com/lectiodivina/
聖書をゆっくり繰り返して読み進める中で神様の言葉を待つのです。
指揮者のために。主のしもべダビデによる。主が、彼のすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、この歌のことばを主に歌った。
1 彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。
詩篇 18:1-3
2 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
3 ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。
読まれた箇所から自分の心に留まったフレーズや単語を書き留めました。最初はこんな言葉が心に留まりました。
広い所
狭い空間にいると閉塞感や狭い視野に支配されがちです。広いところには余裕や自由という感覚があると思います。
さらに与えられた時間を使って、自分で読み進めました。この詩篇には幾つかのセクションに分かれていると思い、それぞれのセクションで想いを巡らせました。
16-19節
苦境や敵という状況において神様がとるアクションを動詞として書き出しました。
- 御手を伸べて
- 私を捕らえ
- 引き上げられた
- 救い出された
- ささえであった
- 助け出された
そしてこのような神のアクションは「私の義」に基づく、ということです。もし自分の義が完全なる正義とか完全なる正しさなと解釈するならちょっと不可能でがっくりするところですが、最近の聖書の学びから、義とは神様との正しい関係を表すことばとして理解しています。神様にしっかりとしがみついているか、ということに基づいて神が行動をとってくれるのです。
29-36節
ここから得られた考えは、「神が与えるのは苦境や敵を回避する隠れ家ではなく、それらに直面し、対抗し、前進する力である」ということです。
37-50節
- 37-42節 主にある当然の勝利
- 43-45節 主の救いと敵に対する圧倒的な勝利
- 46-50節 神の偉大さを讃え、讃美し、人々もその礼拝に招き入れる
まとめ
最後まで読み考えをめぐらせていると気づいたことがあります。冒頭に引用した最初の3節はこの詩篇のテーマであり、まとめであったのです。それ以降の節はこのテーマをサポートする内容だったのです。4-6節は今自分が直面している外敵や困難、危機を表しています。
神様のとってくださる行動をぜひ覚えたいと考え、16-19節を暗誦聖句にしました。
そして最後にペテロ第一の手紙1:13a (「心の腰に帯を締め」)が思い浮かびました。アクションを取るには決意と準備が必要だと語るペテロです。この手紙はペテロがローマの激しい迫害に遭っている教会に対して書いた手紙です。現代文化、社会現象、さまざまな問題に囲まれて過ごしているクリスチャンは心の帯を締めていないと身動きができない、対応できなくなる、と警告されていると感じました。