夏前の礼拝説教で、詩篇から祈りについて学ぶ、というシリーズがありました。その時にチャレンジされたのは、聖書の言葉を暗記してみよう、ということでした。ささっと読んでしまうのではなく、味わうように読み、心に留める、と言うことが目的で、それを通して神様は語りかけてくださり、自分も聞く耳を持つ時間と心の準備が持てる、と言うことでした。

昔は結構出来たのですが、最近は聖書の箇所を伝えたくても、「。。。。ていうような」ことがどっかに書いてあったよね、というような曖昧な記憶が多くなっていたので、その牧師のチャレンジは「ちょっとキツイなあ」と思いました。

でも、実際はそのチャレンジのおかげで、ある詩篇にじっくり取り組む機会がありました。本当を言うと、暗記しようと取り組んだのですが、まあ、それはなかなか前進していませんが。

取り組む、と言うのは何をすることかと言うと、私の場合はその聖書の箇所を学ぶ、と言う意味となります。聖書の学び方は色々あります。聖書の箇所のジャンル、時代背景なども考慮して、コメンタリーとか聖書辞典とか使うようなちょっと学術的な学びもありますし、今神様はこの箇所を通して何を語ってくれているんだろう、と思いを馳せて何度も繰り返して読んでみたりです。

いずれにしても、祈って、聖霊に頼って学びに取り組まないと、頭の知識として止まってしまい、神様の言葉が心に届かないですし、誤った理解や応用をすることにもなりかねません。

さて、私の選んだ箇所は詩篇27篇です。しばらく前にEugene Peterson 先生の講義から印象に残っている「生ける者の地で」と言うフレーズが、詩篇には3回出てきます。その中で、詩篇27篇は一番短いので、それを暗記しようと思って取り組んだのです。

2つのワークシートを作りました。一つ目はまず27篇を書き出して、そこに出てくる単語を3つの種類に分けてカラーコーディングしました。(下の写真)神様のご性質は赤色で、自分のアクションは緑、そして状況は黒、といった具合にです。



次のワークシートは、それらの単語をダイアグラムにした物です。紙の中心に「生ける者の地」と書きました。上に神様のご性質、下に自分と状況を置きました。その3つがどう関わるかを矢印で結んでみると浮き彫りになってくることがいくつかあります。



  • 周囲の状況が自分に影響を与えようとする
  • 神を見上げ、神が自分にとってどんなお方かを理解する
  • 状況は神の手にあり、神は正しいさばきを下す
  • 自分は神によって変えられる

困難が発生すると、まずどうしたらそれに対応出来るか、とトラブルシューティングの頭になりがちな私ですが、この詩篇は、まず神に叫び、尋ね求め、そして主を信頼することからの勇気でタックルすることが出来る、と教えています。神様を見上げないで立ち向かうのは、勇敢な様でいて、実は神様を信じない不信仰な、自分で物事をコントロールしようとする傲慢の現れなことが多いです。

そこまで考えると、27篇の冒頭、「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。」は、カラ元気でも、ポジティブシンキングでもないのが分かります。個人的に関係を持ってくれる神と繋がっていること、そしてその主が自分の光で救いであると言う確信の宣言です。

この学びを通して、詩篇27篇は「主のみ前に、この生ける者の地に歩む時、仕事、人間関係、健康などによって心が揺るがされることがあるが、そんな時、主を見上げ、自分のアイデンティティーは主の救いにあり、主は自分を愛し引き上げてくれる方であると知ることが現在の、そしてこれからの歩みにとっての決め手なんだ」とパラフレーズ出来ます。

今回は「生ける者の地」という言葉にフォーカスしているので「歩み」、そして何を見ながら・考えながら歩むのか、ということがメインになっています。他にも「ひとつのこと」とか「恐れ」とかに焦点を合わせてみて、この詩篇を考えることも出来ると思います。多分、自分の置かれているところに応じて聖霊が語るのだと思います。

同じ道を歩んでも、視点が自分に向いているか、神に向いているかで将来が大きく左右されることについて、Eugene Peterson 先生はこう語ります。(“God’s Message for Each Day – July 8)

「希望を失っていると、人は将来を考える時に得てして次の二つの態度のどちらかをとると思います。一つは希望的観測の態度、あるいは不安の心です。希望的観測でいけば、将来というのは、大抵は奇跡的にですが、自分の願い事が叶うことを意味すると捉えるのです。ですから、白昼夢というかファンタジー的な夢見心地によって心が元気づけられます。不安は、将来を満ち足りない状態として捉え、今の無力さが今後の大惨事につながる、という暗い見通しを立ててしまうのです。しかし、希望とは、将来の基盤は神様の約束にあるのだと信じる態度であると言えます。将来は、神様の約束が達成される時であると捉えるのです。希望的観測や不安という未来が入り込んでくるのを一切退けて、神様の約束があるから何があってもそれは適切である、と信じることにつながるのです。」

“Without hope a person has basically two ways to respond to the future, with wishing or with anxiety. Wishing looks to the future as a fulfillment, usually miraculous, of desire. It expands its energy in day-dreaming and fantasy. Anxiety looks to the future as a demonstration of inadequacy—present weakness is projected to the point of disaster. Hope is a response to the future that has its foundation in the promises of God. It looks at the future as time for the completion of God’s promise. It refuses to extrapolate either desire or anxiety into the future, but instead believes that God’s promise gives the proper content to it.”

Eugene Peterson, God’s Message for Each Day – July 8