「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」マタイによる福音書1章18節〜21節
刑事ドラマとかで良く、「僕は正しいことをしているだけです」なんて言うようなセリフを聞きますね。正義の味方とか、スーパーヒーローとか、人気があるのは彼らが正しい者達だからですね。正しい人とはどんな人でしょうか。
イエス・キリストの生誕の記事に「ヨセフは正しい人であって」と書かれています。ヨセフはイエスの母マリアと婚約していたのですが、マリアが妊娠していると分かり、彼女のことをおもんばかって密かに婚約を解消し別れようとしました。文脈で行くとそのような行動をとろうとしたのは彼が正しい人であったから、と分かります。
しかし、ここで神様はその「正しい人の行動」にストップをかけたのです。神様がヨセフに正しくない事をさせようと言うのではないですね。では、どう解釈するべきでしょうか?ユージーン・ピーターソンはこんな風に説明しています。
「「正しい」という言葉の意義がこの出来事では変わってくる。それは道義的なしきたりを忠実に守る、という意味から神なるお方への忠誠という意味に変わるのである。信仰こそが「正しい人」の原動力である。義務を果たすことや知恵を尽くすことはお払い箱になっている。」- ユージーン・ピーターソン ”A Year with Jesus” マタイ1:19-20のヨセフの記事について
“The word “righteous” changes meaning in this event, a change from loyalty to a moral tradition to obedience to a divine person. Faith crowds out duty and wisdom as the dynamic of the “righteous man.”
– Eugene Peterson “A Year with Jesus” on Joseph in Matthew 1:19-20
神様との関係が正しいこと、つまり信仰によって生きることが「正しい」と言うのです。後に使徒パウロが「義人は信仰によって生きる」と告白したことに通じていると思います。