各階どまりの自動エレベーター?
私の通う教会の牧師はイスラエルへスタディーツアーを毎年行っています。彼が教えてくれたのですが、エルサレムのホテルでは、安息日(ユダヤ教における主の日・礼拝の日)にはエレベーターは自動で各階に止まるように設定されているそうです。これは戒律を守る方々が、ボタンを押すという「仕事・はたらき」をしてしまって、反則を犯さないように、ということだそうです。
ユダヤ教の戒律は信者の多いイスラエルでは厳しく守られいます。中でも、安息日を守る、ということはつい戒律を破ってしまわないように、幾重にもガードが固められているようです。新約聖書からはイエスが安息日に癒したり、わざを行なっていることを当時の宗教指導者や律法学者が問題視している様子がつぶさに伺えます。この点はまた別の機会にシェアできれば、と思っています。
さて、安息日ですが、これは、聖書の最初の書、創世記に神が天地を創造された記事が書かれており、そこからの出自です。7日目に全ての創造をおえられた神が「なさっていたすべてのわざを休まれた」とあります。 ここから、ユダヤ教の戒律では「仕事・はたらき」は安息日には行わない、ということになりました。
そんなことから、安息日にはついつい「何もしない」、ということがメインなんだと私たちは推測しがちなのですが、私には、それは、「別の階に行く・目的地に向かう」、という目的ではなく、「各駅停車のエレベーターに乗る」という手段に目が向いているのでは、と感じられます。
トーフーとボーフー (創世記1:2)
豆腐と暴風雨?ではなく、ヘブル語で混乱と空虚を表す言葉だそうです。創世記1章2節は、「混沌と空虚があり、神の霊が水の上を覆っていた」、とあります。これが破れたる現実でした。神の霊が水の上を動いていた、の動くはホバークラフトでおなじみのホバー、つまり漂っていたと書かれています。それはあたかも、ノアの箱舟から放たれた鳥が下りる場所を見つけられずただただ水の上を飛び交った記事を思い出させます。
神の贖いのわざのスタート(創世記1:3以降)
神様は第一日から第六日にわたり創造のわざをなされました。トーフー・混沌には秩序を、ボーフー・空虚には満たしを創造されたのです。創世記の第一日~三日で世界が形作られました。そして第四日~六日がこの地を満たす創造です。惑星、月、魚、鳥などが創造されたのです。この地に住むことが出来るようにしてくださったのです。破れた現実を贖い、美しい、秩序ある、恵みに満ちた世界にしてくださいました。まさに贖いのわざです。
Sabbath 安息日
創世記2:1-3
1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
2 神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
3 神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。
目的?それとも手段?
安息日とは、何もしないことを目的にする日ではなく、神が全てを造られ、そして全てに君臨する方であることを宣言する日なのです。私は、人間の目的とは、「人は、神様を神様としてたたえる」ということにあり、その手段が、「安息日を守る」ということだと思えるのです。全ての関係にシャローム、平安をもたらすことが出来る神様に思いを馳せ、賛美する日なのです。クリスチャン教会ではイエスの復活が日曜であり、いのちの回復を覚えて通常は日曜日に礼拝をおこなっています。