前回掲載したイザヤ58章の「そのとき(安息日を守るなら)、あなたは主をあなたの喜びとしよう。」という神のことばは意味深いです。神が自分の「喜び」になるということはどんなことを指すのでしょうか。
喜びと聞いて真っ先に思い出されたのが詩篇37編でした。
「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩篇37:4)」
そこでこの詩篇から安息日の行動を考えようと思いました。そこには神の命令と約束が出てきます。
命令:(3, 4, 5, 7 節)
- 主に信頼せよ(3節)
- 主をおのれの喜びとせよ(4節)
- あなたの道を主にゆだねよ(5節)
- 主の前に静まれ(7節)
- 耐え忍んで主を待て。(7節)
約束:(6, 9, 11, 17-18, 23-24, 39-40)
- 主はあなたを引き上げる。「主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」(6節)
- 地を受け継ぐ(9, 11節) 「悪を行う者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。」「しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。」
- ささえられる。歩みが確かにされる(17, 23節)「なぜなら、悪者の腕は折られるが、主は正しい者をささえられるからだ。」 「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。」
- 主が救い、解放する(39, 40節)「正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。」「主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。」
これらをまとめ、今年の「安息日を守る」ビジョンはこうなりました。
安息日:2025年ビジョン
私は主を拝し、安息日を守ることで主を私の喜びとします。私は日曜日を自分の安息日と定めます。これはイザヤ書58:13-14の言葉に応じています。安息日には詩篇37篇に読み取られる次の神の命令に従います。
- 主に信頼すること(3節)
- 主を自分の喜びとすること(4節)
- 自分の道を主にゆだねること(5節)
- 主の前に静まること(7節)
- 耐え忍んで主を待つこと(7節)
神の豊かな約束が与えられています。主はわたしを引き上げ、わたしは地を受け継ぎます。わたしの歩みは神によって確かにされ、主がわたしを救い解放してくれるのです。
ビジョンはいわばビッグ・ピクチャーですので、「じゃあ、安息日には具体的に一体何するの?または何をしないの?」ということが明らかでないとお題目はよかったのに中身がない、という羽目に陥ります。
「主に信頼し、道をゆだねる」行動とはなんでしょうか?どうやって静まり、どうやって耐え忍んで待つのでしょうか?主が自分の喜びになるということは自覚できることでしょうか?
次回にそこを掘り下げた結果を紹介したいと思います。