クリスチャンの間では良く聞く単語ですが、「しもべ」というのがあります。召使、人に仕えるもの、という意味の言葉です。イエスの弟子たちがお互い誰が一番偉いか、ということでもめていた時、イエス・キリストは彼らに共に仕えあうように、と諭すシーンがあります。

しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間でひとの先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人たちのための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

新約聖書マルコによる福音書10:43-45

 

さらに、弟子たちと最後の晩餐に臨む際に、イエス・キリストはしもべの姿となり、弟子たちの足を洗った、という記事があります。イエス・キリストは自分がしもべとしての模範を示した、というのです。

 

さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。。。。 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。。。。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

 

新約聖書ヨハネによる福音書13:1,4-5, 15

 

では、しもべになる、ということはどんな意味があって、具体的にクリスチャンがしもべである、ということは生活にどう反映されるでしょうか?

ティム・チャリーズさんの「あなたは神様の忠実なるしもべですか?」というブログを意訳を添えてご紹介します。原典は、以下の通りです。ご本人の許可を得て掲載させて頂いています。

Are You a Faithful Servant of God?
By Tim Challies
https://www.challies.com/reading-classics-together/how-to-be-a-faithful-servant-of-god

あなたは神様の忠実なるしもべですか?
ティム・チャリーズ氏ブログから
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聖書にはクリスチャンと彼らの神との関係を表現するのに比喩がいくつも使われている。それらの比喩一つ一つは、それぞれ、神とクリスチャンとの関係における真理について異なった観点を示してくれている。 最も良く出てくるものは、神が主人で、人々がしもべである、というものである。私たちは神のしもべなのである。一体どんな意味をもつのであろうか。そうだとしたらどうだというのだろうか。以下はしもべと主人とにおいて真理の7つの点であるが、これらはとりもなおさず、神と人との関係にもあてはまるものである。

しもべは一人の主人に仕えるものだ。

自分の最新の神経を主人に注げるようにと、他は一切切り捨てるのだ。自分の主人にきっちり仕えるため、他の者へ仕える余地などない。同様に、クリスチャンは罪やサタンへ捧げる人生を捨てて、神に捧げる人生に参加している。命をよろこんで捧げて唯一の良き主人に仕えるのである。「 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6:22)

しもべは主人のいいつけに素直に従うものだ。

しもべは自分の好き放題にすることは出来ない。それは主人の意志につねに沿わねばならないからだ。クリスチャンは自分の好きにするのではなく、神の思し召しにいつでも従順に従えるようにするのだ。どんな犠牲を払ってでも神の意とすることをしたいと願うのである神の声と神の望む事柄に注意を払いつつ生きるのがクリスチャンである。

しもべは主人につながれている。

しもべは様々な契りの形態によって主人につながれている。(旧約聖書のイスラエルと神との間の契約 Covenant、契約書 Contract、奉公契約 indentureなど) 自分勝手に主人のところから離れることは出来ない。同様に、クリスチャンは信仰と洗礼を通して神につながっている。「 私は、あなたのおきてを行うことに、心を傾けます。いつまでも、終わりまでも。(詩篇119篇112節)」とダビデは語っている。信仰により、そして信仰の公けな告白を通して神につながっており、その約束を命をかけて果たすことを望むのである。

しもべは主人のわざをおこなう

しもべは主人のわざを行う。主人は多くの煩雑な作業や責任をしもべに託すことによって、繁忙さから解放される。そしてしもべは与えられたものをこなすのである。神は私たちに、神の意志とそのみわざをこの地で果たすよう召命している。パウロは、「ですから、私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身さえ使い尽くしましょう。(コリント第二12章15節)」と、神の召命に答えて語るのです。神は私たちに与える時の中で私たちが神に仕え、労するように召している。

しもべは主人についていくものだ。

主人の進む道にしもべもついてゆく。神の導くところにクリスチャンもついてゆくのだ。けものにつられてさまよってしまう者達とは異なり、クリスチャンはキリストに一歩一歩したがって歩む。(黙示録13章3節) クリスチャンは緑の野を、暗黒の谷を、喜びを通し、苦しみの内にもキリストについていくのだ。 邪悪な世の中にあっても、主に忠実に清廉潔白を保ち、聖く、キリストの十字架をかついで付き従うのである。(ルカ9章23節) 邪悪な世界でクリスチャンが悪に染まらないのは、海水魚が塩辛い魚にならないのとおなじなのだ。

しもべは主人からの報酬に満足する。

主人の与えるものに満足するのだ。多く与えられれば満足し、少なくしか与えられなくとも同様に満足するのだ。クリスチャンもパウロの告白に共鳴する。「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。(ピリピ4章12節)」 クリスチャンがそのおかれた状況に不満を漏らすとすれば、それは自分がしもべであることを忘れてしまったからだ。神の恵みを本当にごく僅かしかうけなかった人も、その死においては、神に多く負い目を持っているのだから。

しもべは主人の名誉を守る

しもべは主人の名誉のために立ち上がる。面と向かって、あるいは陰で主人の悪口を聞くことに堪えられない。クリスチャンは神の名誉のために立ち上がり、詩篇記者の声に賛同する。「私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。(詩篇119篇139節)」 神の悪口を言う者の言葉を聞き、そのまま黙っているのは恥じるべきことである。

 

原文は以下に掲載します。

The Bible uses several metaphors to describe the relationship of Christians to their God, and each of them examines it from a different perspective to display different truths. One of the most prolific metaphors is that of God as master and his people as servants. We are servants of God. What does this mean? What are the implications? Here are seven things that are true of masters and servants and, therefore, true of God and his people.

A servant serves one master. A servant forsakes all others so he can focus the best of his attention on his master. He serves his master to such a degree that there is no room left for another. Likewise, the Christian leaves the service of sin and Satan to enroll himself in the service of God. He joyfully uses his life to serve that one good master. “But now that you have been set free from sin and have become slaves of God, the fruit you get leads to sanctification and its end, eternal life” (Romans 6:22).

A servant is at the beck and call of his master. A servant is not free to do what he wants when he wants to do it, but must always do the will of his master. The Christian willingly puts himself at God’s disposal instead of his own. He longs to do God’s will, no matter the cost. He lives his life attentive to the voice and desires of God.

A servant is bound to his master. A servant is bound to his master through covenant, contract, or indenture. He cannot simply leave his service at a whim. Likewise, the Christian is bound to God through faith and baptism. “I incline my heart to perform your statutes forever, to the end,” says David (Psalm 119:112). We have bound ourselves to God through faith and public profession and should prefer to die than to break our promise.

A servant does his master’s work. A servant does his master’s work. The master is freed from many tasks and responsibilities because he has entrusted those to his servant and the servant performs them on his behalf. God calls us carry out his will and perform his works on earth. Paul said, “I will most gladly spend and be spent for your souls,” which is the work the Lord had called him to (2 Corinthians 12:15). God calls us to labor for him in the time he gives us.

A servant follows his master. Where a master leads, his servant follows and where God leads, the Christian follows. Where others wander after the beast, the Christian follows in the steps of Christ (Revelation 13:3). He follows Christ through green pastures and dark valleys, through joy and through affliction. He even follows Christ as he takes up his cross (Luke 9:23), obediently remaining pure and holy in an evil world. Living in a wicked world cannot make a Christian become ungodly any more than swimming in salt water can make a fish become salty.

The person who receives even the least measure of God’s grace will die in his debt.
A servant is satisfied with what his master pays. A servant is satisfied with what his master gives him. If the master gives much, he is content, and if the master gives little, he is likewise content. The Christian echoes Paul who declared, “I know how to be brought low, and I know how to abound. In any and every circumstance, I have learned the secret of facing plenty and hunger, abundance and need” (Philippians 4:12). The Christian who grumbles about his circumstances forgets that he is a servant. The person who receives even the least measure of God’s grace will die in his debt.

A servant defends the honor of his master. A servant will stand up for the honor of his master. He cannot tolerate hearing others speak ill of his master, whether to his face or behind his back. The Christian stands up for the honor of God, echoing the psalmist who said, “My zeal consumes me” (Psalm 119:139). It is a shameful thing to hear people speak against God, yet to remain silent.