使徒|12 教会の成長痛 6:1-7
使徒の4章では教会は全ての信徒が心も思いも一つにしていたと書かれています。そして誰一人として物質的に困窮していなかったとあります。今回の箇所はそのような教会の姿に痛みがあることが分かります。人の身体が成長する過程で出てくる成長痛のようなものですが、放っておくと大問題に膨れ上がります。今回の箇所ではどんな問題が発生していて、リーダーたちはそれをどのように認識し、解決していくかが書かれた箇所です。
使徒の4章では教会は全ての信徒が心も思いも一つにしていたと書かれています。そして誰一人として物質的に困窮していなかったとあります。今回の箇所はそのような教会の姿に痛みがあることが分かります。人の身体が成長する過程で出てくる成長痛のようなものですが、放っておくと大問題に膨れ上がります。今回の箇所ではどんな問題が発生していて、リーダーたちはそれをどのように認識し、解決していくかが書かれた箇所です。
使徒4章から記され始めた、福音の宣教は、迫害の中、さらに前進し広がり続けて行きます。迫害の中に神は常に共にいます。神は大地を揺り動かしたり(4:1)、ペテロに聖霊による洞察力を与えたり(5:1-11)、今回の箇所のように牢獄から解放されたり(5:12-16)、福音宣教の敵対者であるユダヤ人の指導者たちの中にガマリエルのような人物を通して仲介(5:17-41)します。結果として、やはり宣教は続いて行きます。(5:42)
4章の最後に出てくるバルナバの献金と5章に出てくるアナニヤと妻サッピラの献金が今回のストーリーです。バルナバが光、そしてアナニヤ夫婦が闇とでも言えるような記事です。そしてこの記事の最後の締めくくりの言葉には「非常な恐れが生じた」とあります。
今回の箇所で神は公の方法で罪に対してその裁きを見せます。常にこれほどまでに大ぴらに対応されるとは限りませんが、これは今回の記事の時代がいかに教会にとって大事な時であったかを表すものです。
今回の箇所ではさらに具体的にシェアリングについて書かれています。初代は初代、当時と現代は違う、というように考えるべきでしょうか?あるいは古き良き時代のやり方に戻るべきでしょうか? 教会は、共有する=共産主義的に進んでいくべきでしょうか?
あなたや教会は今日迫害に脅かされているでしょうか?もちろん迫害に遭遇しているでしょう。イエスを信じることを告白することはすなわちこの世にノーと言っていることです。この世の流れや風習、他宗教や様々な教えが蔓延しています。日本や北米では信仰の故に牢屋に入れられることはすぐにはないでしょう。しかし信仰のゆえに誤解を受けたり、行動を規制されたり、法律にはむかわねばならないことがあるでしょう
神は人の歴史にあって働かれます。その人生において、神に従い、聖霊に導かれる信仰の姿が使徒の働きの書にはっきりと見られるのです。
当時のペテロとヨハネが関わっていた民はユダヤの民たちです。宮でのいやしを目撃したものたちが彼らについて回っていました。宮のソロモンの回廊でペテロは彼らに語りかけます。そこは、イエスがユダヤ人たちに語った場所でもあります。(ヨハネ 10:22)ペテロはその時のことを思い出していたしょうか?
イエスが昇天したのち、弟子たちは共に集まって祈っていました。
ルカは福音書に引き続き、「使徒のはたらき」を記録しました。言ってみれば前編・後編に当たります。各書の出だしがそれをよく表しています。テオピロ、という人物が宛名のようですが、聖書研究家たちはこれは暗号のようなもので実在の人物ではないようです。テオピロというギリシャ語の意味は「神を愛するもの」であり、ルカは神を信じ愛する者たち一般に書き送ったとも考えられます。
ルカ6:12-26 12 このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜 続きはこちら