借りた祈り|召命
父なる神様、あなたが私の人生を司ってくださっていることを感謝します。どうか、私があなたの用意してくださっている道から逸れないように、日々私の心を導いていてください。主イエス様、いつの日か私があなたの御前に立つ日、私があなたからのこの世での召命を果たしたとして、「よくやった」と声をかけてくださる事を私は切に願います。
父なる神様、あなたが私の人生を司ってくださっていることを感謝します。どうか、私があなたの用意してくださっている道から逸れないように、日々私の心を導いていてください。主イエス様、いつの日か私があなたの御前に立つ日、私があなたからのこの世での召命を果たしたとして、「よくやった」と声をかけてくださる事を私は切に願います。
あなたは私がこの世に生まれてくる時と場所を永遠の昔からお定めになりました。それは私があなたを求めるのであれば、あなたを見つけ出す事ができる為であると聖書は語っています。
あなたはいつの日か、私にお尋ねになります。私に任された隣人たちを私はどの様に扱ったのかと。
この世は私たちを欺きます。私たちが頼りにするのは結局自分自身だけで、自分の心に従い、感情や気持ちが自分の人生が上手くいっているかどうかのバロメーターだと嘘を教えます。ソーシャルメディアを見るとこの嘘がもっと深く刻み込まれていきます。自分には常に何か足りない。人より劣っている。もっと…が必要だ。他の人は素晴らしい人生を送っているのに。と嘘を吹き込みます。
聖書の語る真理から祈ってみませんか?日曜礼拝では祈りたい、祈ってもらいたい、という方達のために祈りのパートナーが用意されます。この祈りのチームが使うパンフレットがあるのですが、その一つを紹介します。コロサイ書からの祈り、というものです。( )の中はコロサイ書の参照聖句です。意訳したものを以下に掲載します。あなたの祈り、デボーションのヘルプになれば幸いです。
暮らしに秩序を – 時間 父なる神様、あなたの喜ばれる豊かな命あふれ 続きはこちら
人の心は自分で放っておいては様々な所へ流されてしまうものです。聖書は私たちに自身の心を守るように戒めています。今回は、何から自分の心を守るかの祈りになります。
主イエスが与えてくださる「豊かないのち」*とは、物質的な意味ではない事は言うまで 続きはこちら
昨今、身の回りで起こることを網羅して祈るのは大変です。箇条書きにしたらそれこそ本が出来てしまうぐらいではないでしょうか。するとどうしても祈りを励まされるよりも、膨大なニーズに目が行ってしまい心が騒ぐだけで終わることがあります。極端に「神様よろしく!」みたいにちょっと投げやりな祈りになったりもします。
聖書の語る神とは、3人であられ一人の神と言う意味で「三位一体の神」と呼ばれていま 続きはこちら