10月8日はカナダでは感謝祭の祝日でした。「感謝」について想わされたことをシェアします。
その週に読んでいたのが詩篇の107篇です。
感謝する心は自然に、自発的に行う行動なら最高でしょうが、どうやら、「何でも自分で出来てるじゃん?」と、ひとりよがりしていることが多いのが本音です。この詩篇はそんな心を神様に向けるために当時の民に対して書かれ、現在の自分にも良く当てはまります。
この詩篇は感謝せよ、という命令から始まり、悟れ、という命令でしめくくられています。どうやら素直な気持ちを持って、「ありがとうの心」で感謝しよう、なんて言う単純な、スローガンのように自分に言い聞かせるのではないです。
感謝することは神様に救われた者にとっては当然の行為であり、なぜ感謝するか、何について感謝するのか、ということを理解するには神様のこれまでの自分の人生への働きかけについて悟ることが必要だと言うのです。「自分で出来てきたじゃん?」というように目が見えなかったのを、「あああの時も、この時も、神様に助けを求めたじゃないか?救われて、しっかりと歩めるようにしてくれたではないか」と悟り、心に留めるんだ、と詩篇は語ってくれます。
詩篇107篇
1 「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしでまで。」
2 主に贖われた者はこのように言え。主は彼らを敵の手から贖い、
3 彼らを国々から、東から、西から、北から、南から、集められた。
。。。
6 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。
7 また彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた。
。。。
13 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。
14 主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕かれた。
。。。
19 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らの苦悩から救われた。
20 主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。
。。。
28 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。
29 主があらしを静めると、波はないだ。30 波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
。。。
43 知恵のある者はだれか。その者はこれらのことに心を留め、主の恵みを悟れ。