ヨハネって誰?

この書の著者であるヨハネはイエスキリストの12弟子の一人で、イエスに付き従った年月をこの書に記録したのでした。この記録が現代の四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の一つとなったのです。「ヨハネの福音書」(以降「ヨハネ伝」)の他に、ヨハネが書いたものとして、「第一、第二、第三ヨハネの手紙」と「ヨハネの黙示録」の四書物が聖書の中に含まれています。

ヨハネ伝の中でヨハネは自身が登場する自分自身を度々「イエスの愛された弟子」と言う言い回しで呼んでいます。これは、イエスがヨハネを残りの弟子達以上に愛したと言う事ではなく、ヨハネ自身が、イエスから愛されていた自覚を表しているものと言えます。この自覚こそがクリスチャン一人ひとりの喜びの人生に必要不可欠なものではないでしょうか。

ヨハネ伝 19:26、20:2、21:7、21:2

ヨハネの要訳

この書の出だしは、ヨハネのイエスキリストと言うお方を素早く紹介している箇所だと言える文節で始まります。イエスキリストが神であられる事、人類と神との関係、人類に対する神の姿勢、そしてヨハネ自身が書こうとしている事は全て彼自身が目撃したものだという声明などが書かれています。

  • 御子イエス=神

1節でヨハネはイエスを「ことば」と呼んでいます。 なぜなのでしょう?この呼び名の真相はつかみ難いものがあります。でも確かに、人が神を知るプロセスで「言葉」と言うものは重要です。聞く事であっても読む事であっても言葉を通して真実に出会います。イエスは真実を言葉で持って語られていて、現代でも世界中でイエスの言葉は生きています。

そして、もう一つ: 私たちも自分の心を相手に伝える時、口頭、文面、手話などと様々な形で言葉と言うものを使います。神が御子イエスを、御自身を表すことばとして送られたと言う事が 18節に書かれている事と繋がるのではないでしょうか。

「いまだかって神を見たものはいない。 父のふところにおられるひとり子の神が、神をときあかされたのである。」  18節

その他にヨハネは、イエスにはいのちがあり、そのいのちは闇に打ち勝つ希望の光であったと語っています。確かにイエスキリストを自身の神とする人には罪の赦しと永遠の命が与えられるので、その事は、どんな苦難の暗闇にいても人の心に希望の光を与えるのです。クリスチャンになった時、それをみんな様々な形で経験しているでしょうし、クリスチャンとして生きて行く中でも、焦点を神に合わせる事で、試練の中に居てもこの光を頼りに生きる事ができるのです。

  • 6節/15節の「ヨハネ」

ヨハネと言う人物に関しての記事が二箇所に渡って、思い出したかの様に挟まれていますね。ここで紹介されるヨハネという人物は、記者ヨハネの事ではなく、「バプテスマのヨハネ」として知られていた人物でした。この人物に関しては旧約聖書の中で、キリストが到来する直前に現れる預言者として預言されています。(次回で詳しく勉強します。)彼はイエスの親戚にあたり、彼らは幼馴染みであった可能性も大いにあります。次回の学びでもっと触れますが、このヨハネは神から遣わされ、この世にキリストが今こそ現れようとしておられる事を人々に知らせ、皆に心を整え備える様に呼びかけ、罪を悔い改める洗礼を授けていたのでした。

「彼は光ではなかった。 ただ光についてあかしするために来たのである。」 8節

そして、実際その場にイエスが現れた時、自分がそれまで話してきたお方は彼のことなのだと、明かします。著者ヨハネはその場でそれをみていたのでしょうか? そうだとすると、これがヨハネが初めてイエスを目撃した時なのかも知れません。

  • 御子イエスとこの世

イエスがどの様な方であるかを語り、バプテスマのヨハネを紹介した後、記者ヨハネは、御子であられる神、イエスのこの世に対する姿勢を語ります。御子は元から世におられた。それは勿論、創り主の神であられたので、元からこの世におられた訳です。しかし、確かにどの時代も一般の世の人々はイエスを受け入れない姿勢ですね。また「ご自分のくに」とは他でもなく、神がキリストを世に送るために何千年も掛けて用意されたイスラエルそのものですが、(とびら⑮ なぜイスラエル その1⑯その2)イスラエルの指導者も大半の民もイエスをキリストとして受け入れなかったと語っています。

そして次に、この様な世の対応に対して、神はどの様にでられているかが語られています。イエスを信じて受け入れた人達が神の子どもとされる特権を得る事ができる。つまり、その人の魂が罪を赦され、天国に行ける様になるということですね。そして13節では、魂が救われるという事は実は、神の子どもとして生まれ変わった人たちなのだと語ります。神のこどもとされる事は、神の家族の一員として生まれ変わるという事なのです。

適用: 

ヨハネはイエスを命と光に満ちた神であられる事、その御子なる神がこの世に来てくださって父なる神を明かしてくださった事、そして御子イエスを受け入れるものが神の子どもとされることの約束を残してくださった事を大まかに紹介しています。彼がイエスの弟子として観て来た事を大きくまとめてかいています。 

私たちはどうでしょう? 

一人一人個人のレベルでイエスキリストをどれだけ「観て来た」でしょうか? 

どんな印象でしょうか? 

「神の子どもとされている」確信はあるでしょうか? 

あるいはどうやって人はそこに行き着くのでしょうか? 

ヨハネ伝はこの様な問いとじっくりと向き合う書物なのです。