3cm-4cmの分厚さのカーテンが目の前に掛けられてあると想像してみて下さい。寸法は高さ18mで幅が6mです。そのカーテンは大きく分厚過ぎて、牛が2頭で無理やり引き裂こうとしても出来ないものです。 もしそのカーテンがいきなり目の前で勝手に凄い音をたてて真っ二つに裂けたらどうでしょう?

歴史上のある時、それは実際に起きました。

そのカーテンはその昔、エルサレムの神殿の中の「至聖所」と呼ばれる最も神聖な部屋を隔てる為に設置されていたものです。至聖所には神の臨在を象徴する為に造られた箱が置かれていて、大祭司が1年に1回、神に定められた儀式を執り行うことで神が祭司達や民の罪を赦して下さるのでした(勿論、人間側の誠意は重要でしたが)。イエスの十字架上での贖いが完成する前までは、こんな風に人と神の繋がりは間接的だったのです。

聖書ではこのカーテンを、神と罪ある人類との間に立たれたイエスキリストとして例えられています。実は、イエスが十字架の上で人類の罪を背負われた時、次の様な出来事があったのです。

「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。」マタイによる福音書27章51節

これは普通の出来事ではありません。その場に居合わせた祭司たちにとっては凄く恐ろしい出来事だったに違いありません。あの分厚さのカーテンがいきなり真っ二つに裂けたのです。仮に、人間がこのカーテンを裂こうと試みるとするなら届き易い下の裾からですね。しかし、この時は「上から下に」裂けたのです。この出来事が示すことは、人が努力して神に近づいたからではなく(下から上に向かって隔たるカーテンを破ろうとすること)、天の神様が人に救いの道を与えてくださった(上から下に向かって裂けた)と言う事です。

人が至聖所に入る事が許されたかの様なこの出来事は、イエスキリストが御自身の死を持って神と信じる者との間を隔てる物を無くしてくださった事を表しているのです。 真の十字架の意味と神の人類への愛が、十字架での贖いが完成した瞬間にこんな形で表されたのです。 

「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。 イエスはご自分の肉体と言う垂れ幕(カーテン)を通して私達の為にこの新しい道を設けてくださったのです。」(ヘブル人への手紙10章19-20節)

イエスの体を表したあの分厚いカーテンを思う時、肉体の世界に住む私達に五感を通してでもこの重大な真実を見せてくださる神の誠意が伝わって来ないでしょうか?

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」ローマ人への手紙5章8節

 

今年のイースターもこの重大な十字架の意味を踏まえながらイエスキリストの復活を心から喜びましょう。