筆者の年齢層が出てしまいそうですが、子供のころ「泳げタイ焼き君」という歌がはやりました。「毎日毎日僕は鉄板の上で焼かれてやになっちゃうよ。」という出だしです。「サラリーマン」という言葉も(今も使いますか?)どちらかというとネガティブな意味を持っていたのではないでしょうか?繰り返し同じことをする、というようなイメージがあります。

クリスチャンとして、平日の仕事と、信仰を生きることとが、どうもつながらないと感じることは無いでしょうか?

聖書のザ・メッセージ (The Message) 訳や、多数の著書、そして講演などで知られるユージーン・ピーターソン先生はこんな風に語ります。

題して、「なぜ日常の仕事を聖なるもの、神聖なものとして考えにくいのか?」です。

抄訳と原文は下段にありますので参考にしてみて下さい。

なぜ日常の仕事を聖なるもの、神聖なものとして考えにくいのか?

ぱっと思いつく答えは、私たちがそう思い込むのは悪魔の仕業だな、てことです。歴史上でも、伝統を顧みても、聖書にも、日常の仕事を何か別個のものと考えるようなことはありません。クリスチャンはたいてい、市場、家庭、大通り、仕事の場で、車買ったり、売ったりといった中でよい働きをするものなんです。

クリスチャン書籍でとても有名なベストセラーの一つに、ブラザー・ローレンス著の「神の御前にある修練」があります。彼は聖職者ではありませんでした。一介の信者でした。これらの書簡や瞑想を書き留めた中で、彼は神の栄光のためにホットケーキを焼く、とか、神の栄光のために床に落ちたストローを拾う、ということを書き連ねたのです。

 ほんの数年前ですが、キャスリン・ノリス著の「クオティディアン・ミステリーズ(平凡なる奥義)」が出版されました。彼女は詩人で、この著書は前述のブラザー・ローレンスの本の21世紀のアメリカ版といったところです。クオティディアンは、「毎日」を意味します。毎日することですね。毎日私たちがすることを彼女はそれらが神聖なる行動であることを示しています。 今いるここ・この時が神の栄光のために私たちが生きている場所・時なのです。
悪魔の仕業だ、と言うのは、毎日の仕事・活動はそもそもクリスチャンらしくない、とか霊的でない、神聖でない、と元来いえるものは無いからです。「これはクリスチャンの仕事じゃないぞ。お祈りじゃないじゃないか。善い行いではないな。」というように誰かがあなたにささやいているとすれば、それがあなたをゆがめてしまっているのです。
 Why is it difficult for us to see our daily work as holy or sacred?

The glib answer is that it’s the devil’s work to make us think that way. There is no place in our history, in our tradition, in Scripture that makes that kind of division. Most Christians do their best work in the marketplace, in the home, in the street, doing business, buying cars, selling cars.

One of the really famous best sellers among Christians is Brother Lawrence’s Practicing the Presence of God. Brother Lawrence was a lay brother. He was not clergy. He wrote these letters and meditations in which he talked about flipping pancakes to the glory of God, picking up straw off the floor to the glory of God.

Just a few years ago, Kathleen Norris wrote a book called The Quotidian Mysteries. She’s a poet, and her book is Brother Lawrence for Americans in the 21st century. Quotidian means “daily.” What you do daily. And she goes through all these daily things and shows the sacredness. This is the place and time when we live to the glory of God.

I say it’s the devil’s work because there’s nothing inherently un-Christian or unspiritual or unsacred about any of those daily activities. But if you have somebody whispering in your ear, “This is not Christian work. You’re not praying. You’re not doing good.” That just distorts you.