礼拝(ワーシップ)についての説教シリーズが私の集う教会で始まりました。説教の要旨はともかく、一つの聖句にひっかかりました。毎度のことですが、ひっかかると調べなければ気が済まないのです。インターネットはリサーチには本当に便利ですね。(もちろん出典とか気をつけねばなりませんが)。今回はそこで学んだことをシェアします。
「あなたは六日間は働き、七日目には休まなければならない。」出エジプト記34章21節
これがひっかかった聖句です。牧師が、これは礼拝の生き方だ、というのですが、礼拝とこの聖句が何の関りがあるか、って分かりますか?直接的にすぐキャッチしにくいですよね。
ひとつすぐに言えることは、この聖句が単に「仕事は週6日で、7日目は会社を休むように」ということを念頭においたものでは無いということです。モーセを通してイスラエルの民に語られたこの言葉は、もっと深い意味合いがあるはずです。
キーワードは、「働く」と「休む」です。
まず、「休む」という言葉ですが、創世記の天地創造が完成した際に神が休まれた、と書いてあります。
「神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」創世記2章3節
「休む」という言葉には「統治する場所に就く」という意味合いがあるそうです。(Ivan DeSilva) つまり、神様が天ら万象と人間を創造し、すべてを良しとして、御座に君臨した(している)のが7日目のサバス、「休む」、ということです。人間はこの御座におられる王なる主を礼拝するのです。礼拝をするべき日を選り分けておくのです。
日曜日に教会で礼拝をする、というのは今も全地を治めておられる主を神と認めて礼拝することですね。
では、週の一日(必ずしも日曜でなくても良いと思いますがそれについてはまた別の機会に考えてみたいと思います)は礼拝で、残りの6日間は自分のために過ごせばいいか、というとそうではありません。
この「働く」という単語を理解するによって少し深く考えらると思います。ここで使われている単語は、アラム語の語源では「礼拝する」という意味を持つことばと関連し、また「仕える」という意味を持っているそうです。出エジプト記の文脈が、主こそ唯一の神としてあがなう存在である、ことであることから、主に仕える、という大きな意味合いがあるでしょう。
神様に「仕える」ということはどういうことか、と考えると、神様の望まれることを行う、ということにつながるのではないでしょうか。
ひとりひとり置かれている立場や職業は異なるでしょうが、イエス様を受け入れ、彼を主としてあがなうのであれば、イエス様が送り出して下さったその場所で、御心を行うのが「仕える」ことになると思います。それはイエス様の声を毎日の生活の中で聞き取り、聖霊の導きに敏感に従って、大きなストーリーの中にあって常に君臨していらっしゃる父なる神を信頼し生きることです。神様を神様と認めてあがなう、、、つまりこれはもうまさしく「礼拝」することになっているんです。
「仕事」=「礼拝」と方程式化するのは、確かに短絡的かもしれませんが、何気ない、普段の仕事で神様に仕えることは礼拝なんです。
冒頭の「あなたは六日間は働き、七日目には休まなければならない。」(出エジプト記34章21節)という聖書の言葉は、パラフレーズするならば、「あなたのいのちは全て神様の中にあり、神様を礼拝するために生きているのです。毎日の労働が神様に礼拝することであり、また労働を休み、教会で礼拝をすることも礼拝ですから。」
【参考】
https://www.orpc.sg/happenings/reflection/old-testament-worship
Ivan De Silva, “The Biblical View of Origins: How Should We Read the Story of
“Creation” in Gen. 1?” February 9, 2016, CA Church: Science and Faith: Friends or Foes?