日用の糧 Our Daily Bread

「我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。」

CA Church では、引き続き日曜説教は主の祈りからです。先週は「我らの日用 の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。」からのメッセー ジでした。そこから想わされたことをシェアします。Pastor David の実際のメッセージはこちらから視聴出来ます。

「天にまします我らの父よ、願わくば御名を崇めさせ給え。御国を 来らせ給え。」とイエスの教える祈りは始まります。崇高な、 神を神として讃め称える祈りですね。ところが、それが突如として 、「今日のご飯をお忘れなく」、と言う何とも俗っぽいことを祈り 求めるところです。

でも、私たちが「我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与 えたまえ。」と祈る時、様々な意味がそこに込められています。

イギリスのウエストミンスター・チャペルで牧会を続けた Martyn Lloyd-Jones 師の言葉が日曜説教で引用されました。こう書かれています。(日 本語の抄訳を付けてあります)

“We cannot live for a day without Him. Nothing would continue were it not sustained and kept going by God. ‘Give us this day our daily bread.’ It is a good thing for us at least once a day, but the oftener the better, to remind ourselves that our times, our health, and our very existence, are in His hands. Our food and all these necessary things come from Him, and we depend upon His grace and mercy for them.”  Martyn Lloyd-Jones, “Studies in the Sermon on the Mount” p.72

「私たちは一日たりとて神様無しに生きることは出来ないのです。 神様が支え、動かし続けてくれなければ何一つ続くものはありませ ん。『我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。 』私たちは最低でも一日一回、もちろんもっと頻繁であればなお良 いですが、私たちの時間、健康、 存在自体さえも神様の手の中にある、と思い起こす必要があるので す。食べ物も、こういった私たちが必要なもの全ては神様から与え られるのです。私たちは神の恵とあわれみに頼っているのです。」 山上の垂訓の学び72ページより

私たちを取り巻く文化は、「生きていくのには神様はいらない」 と思い込ませます。 特に現代の技術革新による様々なデバイスやツールがますます進歩し、便利になっているので、 朝起きてから寝るまで、 そして寝た後も、全然神様のことを考えないで、身近に感じないままで、生活をすんなりと送ることが出来てしまいます 。 やがて、「なんだ。神様無しでも大丈夫だ」 という考えが心を大きく占めるようになります。 結果として、信仰の行いと言えば、困った時や緊急の時に祈ったり、 そして週に一度の教会通いだけ、となってしまうかもしれません。

クリスチャン達の問題だけとは言えません。 現代を生きる人全てが実は大きな影響を受けていると思います。 私達は技術革新のおかげで生活が安楽になったにもかかわらず、 得てして何か不安に苛まれ、 将来は見えず、心を悩ませることが多くなってきています。

一つの大きな理由に、テクノロジーのささやきがあると思います。私たちは常に、新しい製品を手に入れないといけない、という強迫観念にも似た感覚を持っていないでしょうか。それは文化・価値観があなたに、「あなたの(持っているもの) はすでに時代遅れだ。」「 他の人の方があなたよりも良いデバイスを持っている。」「。。。 。が無いと生活出来ない。」と休む間もなくささやき続けています。 すると、「古いもの、昔のこと」イコール 「意味の無いもの、悪いもの、役に立たないもの」である、と教えられて、それを信じてしまうのです。 自分のこれまでの人生の積み重ね、住んでいる地域や人々の歴史、つまり、現在は過去があってこそ成り立っている、ということを全否定するようになります。 すると、自分の地歩の基盤は無くなっているので(新しいものしか役に立たない)心には常に充足、満足、安定、平安、がなくなり、必然的に不安がいつも心を支配し出すのです。そして、次に何を手にいれればこの不安がなくなるか、とか、いっそのこと不安から引きこもり、目の前の快楽に酔いしれよう、ということになったりしてしまいます。

 

しかし、神様以外のものでは絶対に心は満たされません。取り巻く文化・価値観は成功や安寧を約束しますが、決してその約束は果たされることはないのです。

 

ロイド・ジョーンズ師は、解決は、毎日一度は自分が生きているそのこと自体が神様のみわざである、 と確認し、祈ることが大事だと言っているのです。「 今日のごはんもよろしく」と言う表層の祈りではなく、 自分が被造物であり、神様が創造主であることを認め、その上で、 神のあわれみを求めることなのです。

イエス様は、こう語ります。

「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、 自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。(マタイ6: 27)」

さらに、こう続けて語ります。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。 そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 (マタイ6:33)」

今日また思い出して下さい。「我らの日用の糧を今日も与え給え」 と祈る時に。イエス様にあってこそ、私たちの人生は意味をもち、 目的の与えられる、生き生きとした人生になります。


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