七人の弟子たちがガリラヤ湖の岸辺でイエスと共に心の暖まる時間を過ごしています。そしてイエスがペテロの心に刺さっていたトゲに対処され、彼を教会の長として建て上げられた話を前回で学びました。
ペテロの終期 18〜19節
ところで、イエスはペテロにもう一つ話す事がありました。それはペテロの人生の終期を映し出した啓示だったのでした。ペテロが歳を重ねた後、自由を失っても神の栄光を現す死に方をするのだと言うものです。ペテロの死は聖書の中には記録されていませんが、教会史の中で伝説として語られているものがあります。
〜ローマの火事とペテロの処刑〜
この弟子たちのイエスとの朝食の朝の時点からおよそ30年後の紀元64年、ローマの街の八割近くが大火事で焼き尽くされます。火元に関する説の一つは、事もあろうに当時の皇帝であったネロ自身が好奇心で火をつけ、それが予想以上に広がってしまったと言うものが残されています。その説によると、焦ったネロは自分の濡れ衣を、普段から鬱陶しく感じていた「クリスチャン」と呼ばれている者たちに被せる事にしたと言う事です。その時からローマではクリスチャンたちへの苛酷な迫害が始まりました。
伝説となっているのは、この当時、教会の長としてローマにいたとされているペテロの話です。指導者たちは、ペテロをも捕らえ、彼が慕うイエスと同じ死に方をさせようと、ペテロを十字架にかけようとします。ペテロは、イエスと同じ形をとる事にあまりにも恐縮し、自分を逆さまの状態で十字架にかけて欲しいと願い、その通りになったと言うものです。
その頃ペテロはおそらく50代後半だったと計算できるのですが、当時の感覚ではその年代は「年寄り」であったとされています。歳をとったペテロが、決して誰も行きたいとは思わない処刑に連れて行かれたと言う事がこの伝説で、この朝食の場でのイエスの語った啓示の成就を裏取っているのだと論じられています。
〜「わたしに従いなさい」〜19節
イエスはこうを語られてからペテロに「わたしに従いなさい。」と言われます。この後、数週間いないにイエスは昇天され(*)、弟子たちも誰もイエスに五感で接する事ができなくなるのです。その状態の中を「イエスに従って生きる」とは聖霊の導きに従って生きるという事になります。神との関係の為においても、これから教会の長としてやっていくにあたっても、イエスに従う事はペテロにとって重要であったことは言うまでもありません。
*「あとがき」参照
イエスと一人一人 20〜23節
弟子たちの代表格であったペテロですから、おそらく残りの者たちへの責任感や配慮があったのかも知れません。自分だけが使命を授かっていたかのような錯覚を起こし、周囲に、特に近い仲間であったヨハネ(「イエスが愛された弟子」と著者ヨハネが自分で記している)に対して引け目を感じたのでしょうか? ペテロはイエスにヨハネには何を望んでおられるのかを尋ねるのですが、それに対してイエスはこう返事されます。
「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何の関わりがありますか。あなたはわたしに従いなさい。」(22節)
御子イエスが再びこの世に降りてこられると言う預言(「キリストの再臨」と呼ぶ)は聖書に多くありますが(*)、イエスご自身も弟子たちに語ってこられていた事が、このことばでわかります。
*ゼカリヤ14:4、マタイ24:30、Ⅰテサ4:13〜17、Ⅱテサ1:7、2:8、Ⅰコリント1:17、Ⅱテモテ4:1、黙1:7 等
ただ、この場でのイエスのことばの要点はそれとは異なっていて、「ヨハネの結末はペテロとは関わりはないのだ」と言う所にあったのです。クリスチャン同士が愛し合い、互いの人生に関わり合って、支え合い、祈り合い、お互いに咎れ合う事を神は大いに望まれます。(*) しかし、一人の魂と人生の重みの全てを別の人間が負い切る事はできないものなのです。その人物の最終的な着地点や結末などに関しては、その人物とイエスとの間でのみの課題であると言う事になります。クリスチャンの一人一人はイエスキリストを通して神との特有な関係を持っているのです。
*箴言27:17、ローマ14:19、エペソ4:15〜16、4:29、ヘブル3:13 等
イエスがこのことばでペテロに強調したかった事は、「ヨハネの関して心配しないように、自分とわたしの間の事に注意を払うように」と言うことだったようですが、このことばを聞いた周囲の者たちの間で、ヨハネがイエスの再臨の日まで生きながらえるのだと言う誤解が広まったと最後に書き添えられています。
ヨハネの締めくくり 24〜25節
ヨハネは最後に、「イエスの活動に関しては書き留め切る事ができたとしても、それらの書物をこの世界に納め切る事はできない程に多くある」と言う事を語ります。比喩的な言い回しであったのかも知れませんが、その一方、イエスキリストの技は四福音書や「使徒の働き」の著者たちが書き納め切る事ができない程に多くあった事は充分に想像できます。神の御子がこの世に足を踏み入れ、人として33年間を過ごされたのであれば、人間が書き残しきれない程に多くの事を行われるのは全く不思議ではないからです。そんな描写で、この「ヨハネ伝」こと「ヨハネの福音書」は閉じられたのでした。
あとがき
ヨハネ自身、このガリラヤ湖の岸辺でのイエスとの朝食の思い出を余程に尊く感じていた事は、そのシーンでこの福音書を閉じている事から感じ取る事ができますね。ここでは、この「ヨハネ伝の学び」シリーズの終わりにふさわしいと思えるイエスキリストの「昇天」に関して書き添えます。
イエスキリストはよみがえられた後40日の間、あらゆる場所で弟子たちを含む500人程の人たちの前に現れられました。(*) この最後の朝食の場面もその40日間の間に起きた事の一つで、ガリラヤ地方での出来事です。イエスの十字架とよみがえりの当時はユダ地方のエルサレムに居た弟子たちが、イエスに命令に従って、(**) ガリラヤに移動していたのでした。その彼らが40日の末には再びユダ地方のベタニヤに戻っています。この40日間あらゆる地方に居た、イエスを信じ愛していた人たちを訪れておられたであろうイエスご自身の動きに合わせて、弟子たちもその場所に導かれていたものとも考えられます。
*Ⅰコリント15:6、
**マタイ26:32、マルコ16:7
40日の末に、イエスが雲に包まれて天に引き上げられる出来事が聖書には記録されています。(*) この時イエスはベタニヤにいた弟子たちや多くの人たちの前に現れてくださいました。彼らはきっとラザロ、マルタとマリヤの三兄弟の家に集まってと充分に想像できます。 そしてイエスは、ベタニヤから4kmほど離れたオリーブ山と呼ばれる山の上へ彼らを導かれます。その山でイエスはその大勢の弟子たちに、全世界に出て行って福音を述べ伝えるように命じらた事が、「大宣教命令」(**) として知られています。
*マルコ16:19、ルカ24:50、使徒1:6〜12
**マタイ28:19〜20を含む
彼らを励まし、指導された後、イエスキリストは彼らの目の前で雲に包まれ天に引き上げられて行かれます。それを目の当たりにして、呆気に取られていた人々に二人の天使たちが話しかけてきます。それは、「今、天に登って行かれたイエスは同じ有様でまたこの世にくるのだよ」と言う内容のものでした。(*) 御子イエスが再臨される時も雲に乗って(空の雲とは別なものと理解されています。)この世に来られるからです。
*使徒1:11
昇天されたっきりではなく、御子イエスが再臨なさる日が確実にやってくる事がいつの世でもクリスチャンたちの大きな希望と励ましになっているのです。