ピリピ 2:6-8

6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。

完全に人であり完全に神であるイエスのストーリーと聖霊のストーリーは切っても切れない関係があります。

イエスの懐妊

御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」

ルカ 1:35

「あなたをおおう」という言葉に聖霊の臨在を見受けることが出来ます。創世記に「2地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。(創世記 1:2)」とあります。「上を動いていた」ホバリングしていたのです。処女受胎は創造の時から働かれている聖霊のわざです。

イエスのバプテスマ

さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

マタイ 3:13-17

聖書の中に三位一体の神が勢揃いしている場面です。聖霊が下り、父なる神が宣言をし、イエスがバプテスマを受けたのです。イエスのバプテスマの意味は重要です。バプテスマのヨハネは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」という神の言葉を預言していました。悔い改めたものたちが告白として洗礼を受けていたのです。イエスが「洗礼を」と言うと、バプテスマのヨハネはイエスに「そうさせまいとして」と書かれています。全く罪の無いイエスには罪の悔い改めの洗礼はおかしい、と言うことでしょう。しかし、イエスはここで私たち一人一人に同化したのです。私たちのストーリーに入ったという意味です。イエスが洗礼で明らかにしたのは聖霊の導きに従順に生きる姿です。「自分を無にして」父なる神に従うのです。父なる神の宣言は同様に重要です。イエスに対しての「これはわたしの愛する子、これを喜ぶ」と言う言葉は私たちにも向けられるからです。イエスの宣教活動はこれから始まります。しかしすでに父は愛し、喜ぶのです。私たちもまず父なる神に愛され、喜ばれている存在であることを忘れてはいけません。神に自分が愛に値することを証明する必要など一切ないのですから。

敵と対峙

聖霊を受けたイエスは「すぐ(マルコ 1:12)」荒野での40日の断食が始まりました。そしてそこで悪魔と対峙したのです。聖霊がここでも明らかに導いています。

  • 「御霊はイエスを荒野に追いやられた。(マルコ 1:12)」
  • 「さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、四十日間、悪魔の試みに会われた。(ルカ 4:1-2)」
  • 「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。(マタイ 4:1)」

聖霊がイエスを導き、追いやり、満たしたのです。

霊に満ちた宣教

わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。…きょう、聖書のみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。

ルカ4:18-19, 21

悪魔は三つの誘惑を通してイエスのミッション、つまり救い主となることを脱線させようとする試みは失敗しました。それを退けたイエスはナザレに戻り、宣教声明、つまり自分が誰で何をするよう遣わされたかを発表しました。イエスの宣教が始まりました。この言葉の始まりは「主の御霊がおられる」とある通り、聖霊がイエスに導きを与え、宣教の使命を明らかにしています。

十字架

イエスの使命である十字架にも当然聖霊が明らかに導きを与えていることがわかります。(太字は筆者による)

「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離させ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」ヘブル 9:14 

「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。」ヨハネ 19:30

「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」ヨハネ 7:38-39

イエスが預言の通り十字架にかかり、復活し、昇天し栄光についたのでイエスの霊が信じるもの全てに与えられています。私たちのストーリーはイエスの十字架に基づいています。そしてそれは聖霊と切っても切れない関係です。私たちのストーリーも聖霊に繋がっているのです。