ピリピ 1:1-2
1 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。2 どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
パウロとピリピ
使徒16章12節に「それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。」と書かれています。パウロの第二次宣教旅行(西暦49−51年)でのことです。「私たちは」と書いてあることからルカも共に行動していたと考えられています。16章にはその「幾日か」に起こったことが細かく記録されています。
パウロ一行はリストラからイコニウムを通り西へ(小アジア=現トルコ)進もうとしたところ、「アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられた(使徒16:6)」ため北回りでアジアを迂回し、ムシヤの地方(現トルコ西北)に着き、そこから北上してビテニヤに行こうとしますが、「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった(使徒16:7)」ので、西に進みトロアスの港町に来ました。そこでパウロは「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願する男の幻を見るのです。そして速やかに船でマケドニヤに渡り、ピリピに到着しました。パウロが「神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信した(使徒16:10)」とルカが記しています。

ピリピはローマ植民地であり、商業、通商の中心地として重要な拠点でした。ローマ兵たちが退役後移住していたこともあり、ローマ文化が根付いていました。さらに共通語も当時よく使われていたギリシャ語ではなくローマと同じくラテン語が用いられるなど、どこをとってもローマっぽい都市として誇っていたようです。当然ローマ皇帝を神と崇めることが要求されていたのです。
ピリピでの出来事
ぜひ使徒の16章を細かく読んでください。ジャーナリストのルポルタージュを読んでいるようです。次のようなことが立て続けに起きたのです。
- 祈り場での女たちへの宣教
- 紫布商人のルデヤの回心と家族の洗礼
- 占いの霊に憑かれた女奴隷の解放
- 女奴隷の主人からの通報によるパウロとシラスの逮捕
- 広場での糾弾とむち打ちの刑、そして投獄
- 大地震と獄舎のとびらが開放
- 責任をとって自殺しようとした看守の回心と家族全ての洗礼
- ルデヤの家で始まっていた集会に参加
このように家庭集会のように始まったピリピの信者たちの集まりでした。
執筆時のパウロの境遇
ピリピ書は西暦62年ごろローマにある牢獄の中で書かれたとされています。「私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり(ピリピ 1:13)」や「 聖徒たち全員が、そして特に、カイザルの家に属する人々が、よろしくと言っています。(ピリピ 4:22)」と本人が書いています。
ピリピ書を解釈する時の注意事項
- ピリピ書は書簡であること、つまり、ある特定の場所のある人々に書かれていることをわきまえておくこと
- その当時のことや人々について分からないことは出てくるが、分からないことは分からないとした上で、憶測に基づいて解釈しようとしない、あるいは現代的に解釈しようとしないこと
- 神学的に意味のある箇所を読み過ごさないようにすること。例えば 1:1-2は簡単な挨拶のように見えるが、書簡の内容と照らし合わせると重要な点がある
- 文脈をわきまえない聖句の引用をしないこと。引用聖句が独り歩きしないようにすること。特によく知られた聖句になればなるほど、どのような背景でなんのために語られた言葉であったかを抜きにして使われてしまうことが多い。
ピリピ書が現代教会に語る四つのこと
- クリスチャンの一致について
- 苦しみについて
- 神の恵みと人の働きとの関わりについて
- 教会と周囲の救われていない世界との関わりについて
1:1-2から
- 「しもべ」と言う単語の語源を見ると「お手伝いさん」的なしもべではなく、「どれい」を指す言葉が使われています。ローマ書とテトス書において同じ「しもべ」と自分のことを呼んでいますが、いずれの際も「使徒」というタイトルが次に書かれています。しかし、ピリピ書では自分を使徒と挨拶では呼んでいません。
- 「すべて」ピリピにある信徒たち全てに書かれています。
- 「恵み」と言う言葉は当時の挨拶の言葉に近い単語です。「拝啓」みたいな言葉が存在していたのでしょうか。しかし、ここではパウロはあえて恵みという言葉に置き換えています。そして、「平安」という言葉はユダヤ的に言えばシャロームです。イエスキリストにのみあり得る恵みと平安がありますように、と手紙を書き出します。
このように語るのには実は理由があったのです。パウロはピリピの信徒たちに願ったのはキリストにおけるへり下りでした。ですからパウロはあえて自分を神から任命された「使徒」というタイトルを用いなかったのです。書簡を読み進めると彼がへり下りについて掘り下げていることが明らかになります。ピリピの信徒に与えられた恵みと平安に基づいて、彼らが神から聖徒として福音を述べ伝える任を命ぜられており、クリスチャン同士一致すること、そしてそこには苦しみにあっても絶えない喜びがあることがこれから紐解かれていきます。
