使徒4:32-35
32 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。33 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。34 彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、35 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。
革命的シェアリング第二弾
ルカは2章で初代教会についてこう記しました。
「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。(使徒 2:44-45)」
今回の箇所ではさらに具体的にシェアリングについて書かれています。初代は初代、当時と現代は違う、というように考えるべきでしょうか?あるいは古き良き時代のやり方に戻るべきでしょうか? 教会は、共有する=共産主義的に進んでいくべきでしょうか?
共産主義とこのクリスチャン教会との違いは二つあります。一つは教会の共有は法律のように、義務として課されているものではないことです。また、100パーセント自分の所有物を共有することが義務付けられているのではなく、自発的に行うのです。教会において共有もするし、個人のものとして所有し続けることもありました。
クリスチャンの心と思いの一致(v32)
この箇所に描かれているのは教会における一致に向けて熱心に取り組んでいることでしょう。「共に」とか「一つ心にして」と訳されているギリシャ語の「ホモテユマドン」は使徒の働きで繰り返し出てくる言葉です。ルカのお気に入りの単語だったのでしょう。使徒の働き1:14; 2:1; 2:46; 4:24; 5:12; 7:57; 8:6; 12:20; 15:25; 18:12; 19:29に使われています。この言葉の持つ意味は個人の気持ちや思いを超えた一致です。
パウロは後に書簡で次のようにこの「共に」ついて書いています。
- 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。(ピリピ 2:2)
- 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。(エペソ 4:3)
- どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。(ローマ 15:5-6)
クリスチャンの共有(v32, 34)
パウロはテモテ第一でこの世の富について警告しています。
金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
テモテ第一 6:10
ルカの福音書の若き役人の記事を思い出すでしょう。
イエスはこれを聞いて、その人に言われた。「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。
ルカ 18:22-23
イエスの教えの言葉も思い出されます。
持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。
ルカ 12:33
これらをどう考えるべきでしょうか?二つのとるべき態度が見えてきます。一つはキリストの体である教会にあるお互い同士への態度、そしてもう一つは財産に対する態度です。自分が所有しているものは、自分にだけ与えられているものと考えるのは間違っているでしょう。全ては神様から与えられ、全ては神様の持ち物だからです。私たちは与えられているものを管理し、知恵を持って使う役割があるのです。そしてそのような管理をすることによってキリストの体にある誰一人として必要に苦しむことが無いようにするのです。(v34)
クリスチャン教会のプライオリティ(v33)
今回の箇所を読むとシェアリングのことが前面に出ているので見落としがちですが、その背骨たるものは何よりも福音を伝えることにあるのです。それが共有32節と34節では信徒が持ち物を共有し、必要のあるものたちに余裕のあるものたちが分け与える姿がにサンドイッチになっている33節の言葉です。信徒の集まりの目的、つまり存在理由を述べています。集まること、共有し合うことが目的ではないのです。どうしたら教会がうまく運営されていくか、経済的に安定するか、というメンテナンスが主眼ではありません。個人も信徒たちの集まり、つまり教会がキリストの証人であり続けることが最重要要件です。
