使徒 6:5-10
5この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、6 この人たちを使徒たちの前に立たせて、そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。
8 さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。9 ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。10 しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対応することができなかった。8 さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。9 ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。10 しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対応することができなかった。
証人の広がり
使徒の第1章でイエスは、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」と弟子達に語りました。これまでエルサレムで福音が教会の黎明期において広がって来ました。今回の箇所からキリストの証人たちは地理的にも広がり始めます。その皮切りになったのがステパノです。彼の信仰、メッセージ、そして殉教(6〜7章)の後、証人たちは「散らされた」新しい地域、に福音が広まることになったのです。(8章)これまでのペテロの宣教の姿から、回心したパウロの働きの姿を見ることになります。今は、サウロ(後にパウロ)の姿はステパノの殉教において、そしてクリスチャン達への激しい迫害の姿ですが。
ステパノ (6:5, 8–10)
ステパノという人物についてルカはこういくつかその特徴を書いています。
- 信仰に満ちている(6:5): キリストを信頼し、全てを賭けてキリストの言葉を受け入れ彼のために生きるという意味です
- 聖霊に満ちている(6:5):8節に、「力とに満ち」とあります。聖霊によって力を受けて、結果として「すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた」のです。
- 恵みに満ちている(6:8):神の恵みを自分が受けているので、人に恵み深く出来たのです。これは追い込まれ、糾弾された時、弱々しく対立を単に避けるように平和を築くのではなく、キリストのように振る舞うことができることも表しています。
- 対立者達はリベルテンの会堂の者たちであった(6:9):興味深いことは、この会堂は集う者たちを見るとギリシャ系の会堂だったようです。ステパノ自身もその会堂に出ていたことがあったかもしれません。さらにキリキヤの本拠地はタルサで、使徒パウロの生まれ故郷でもありました。
- 彼が知恵と御霊によって語っていた(6:10):知恵は間違いなく神からの賜物です。そして知恵を使うということは具体的にこの箇所では議論において御言葉を用いることが出来たことです。それにより、人々が神の真理と対峙することになるのです。
ステパノは神と常に絆を強く持っていました。それは公の働きにおいても、個人の生活においてもです。ありとあらゆる人生の面において神と繋がっていたからこそ、攻撃を受けても神の恵みに根付いた対応をすることが出来たのです。神の恵みがステパノを人に対して恵み深くしたのです。それにより人が聞く耳をもち、神の真理に触れることができるようになったのです。
糾弾 (6:11–15)
ステパノに対する糾弾はイエスに対する偽証、議会、そして不法な裁判沙汰を思い起こさせます。民衆と長老たちと律法学者たちは煽られてステパノを捉え、偽りの言いがかりをつけて、議会に引き回して来ました。
イエスの時代と異なるのは、西暦6年にユダヤの地がローマの州となったことです。それまでは死刑・極刑はローマ総督の権限のみによると定められていました。イエスを死刑にするには、ローマ総督ピラトの十字架刑宣告が必要だったのです。しかしステパノの時代には神殿の尊厳を犯す罪により死刑を言い渡す権限がローマの州のユダヤ議会に与えられたのです。
「『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」とルカは書き記します。
神への叛逆を働き、モーセに逆らう奴だ!と糾弾するまさしくそのステパノの顔は御使いのように見えたのです。皮肉にも、神の栄光を反射したモーセのようだったのです。「彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。」出エジプト 34:22
パウロが後にコリントの信徒に書き送った言葉が思い出されます。
そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 コリント第二 3:13-18
ステパノのメッセージ (7:1–53)
ステパノはユダヤ人のリーダーたちに向かって、聖霊に満たされ、神の知恵により語りました。今日この箇所は多くの聖書から福音を語る者たちのテンプレートにもなっています。自分が誰に対して、どんな文化背景にあるのかを考えて語る、「聖書の文脈化」としても知られています。
大祭司の、「そのとおりか」との問いかけにステパノは雄弁に語りました。メッセージの終わりには、「 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。(54節)」どんな内容だったのでしょうか。大きく分けて三つの点があります。
1神の働かれるのはイスラエルのある特定の場所に限られるのではない。
イスラエルの特定の場所、つまりエルサレム以外では神は働かない、というのは間違いです。すでに、イスラエルの歴史を見れば、アブラハムはメソポタミヤの地にあった時に神に出会いました。ヨセフが神の祝福を受けたのはエジプトです。モーセは燃える柴を通して神に遭遇したのはエジプトのシナイ半島でした。そしてイスラエルの民をエジプトから紅海を通り導きました。神はシナイ山で人々に十戒を渡しました。
2神に喜ばれる礼拝はエルサレムの神殿からでなければならないとは限らない。
イスラエルが荒野を彷徨った時、神は臨在を雲の柱でしめしました。そして幕屋と呼ばれるポータブルの神殿が民と共に動いたのです。
神殿は確かに建立されました。しかし、ステパノは、こう語ります。
神のために家を建てたのはソロモンでした。しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。『主は言われる。天はわたしの王座、地はわたしの足の足台である。あなたがたは、どのような家をわたしのために建てようとするのか。わたしの休む所とは、どこか。わたしの手が、これらのものをみな、造ったのではないか。』使徒 7:47-50
3ユダヤ人は歴史の中で神からのメッセンジャーたちを次から次へと拒絶してきた。
ステパノの厳しい言葉は続きます。
「あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。」(52節)
モーセが預言したイエスを裏切り、殺した、と迫りました。
ステパノのこのメッセージの重要性は、キリスト教がユダヤの神殿とユダヤ教自体から切り離されたことです。まもなく、教会は、クリスチャンになるためにまずユダヤ教に回心せねばならない、という取り決めを廃止しました。
ステパノは殉教し、このメッセージのもたらした新しい福音の成長や神学的な重要さについては生きて体験することはありませんでした。しかし、それはやがて異邦人の宣教に遣わされるパウロによって引き継がれました。パウロ(サウロ)がステパノの殉教の場面、キリストの信徒たちの迫害の最前線にいたことは特筆すべきでしょう。神の深遠なるオーケストレーションを感じます。
