子供ディボーション|マタイ 3:16-17, マルコ 1:9-11, ルカ 3:21-23
神の子イエスさまは、父なる神さまと一つであられます。それなので、イエスさまも神さまです。そして、せいれいさまとは、私たちの心をたすけてくださるお方で、この方も神さまです。父なる神さまと神の子イエスさまとせいれいさまは三人で一つの神さまです。このふしぎな事を「さんみいったい」とよびます。
神の子イエスさまは、父なる神さまと一つであられます。それなので、イエスさまも神さまです。そして、せいれいさまとは、私たちの心をたすけてくださるお方で、この方も神さまです。父なる神さまと神の子イエスさまとせいれいさまは三人で一つの神さまです。このふしぎな事を「さんみいったい」とよびます。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」ヨハネ1:4
「この方」とは、イエスさまのことをいっています。イエスさまがくださるいのちとは、体のいのちだけではなくて、神さまをあいするよろこびと天国に行って神さまとずっと生きつづけるいのちのことです。そして、このすばらしいいのちは人の心をよろこびで明るくしてくれるので、「このいのちは、人の光であった。」と語っています。
「すべてのものは、この方によってつくられた。つくられたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」ヨハネ 1:3
せんれいをうけられるイエスさま:バプテスマのヨハネのところに多くの人たちが「心をまっすぐにしたい。神さまがよろこんでくださる人になりたい」と言う気もちでせんれいをうけに来ていました。大人になったイエスさまもまた、ヨハネのところに来ました。
「バプテスマのヨハネ」とよばれている人がいました。この人は人々に、イエスさまがもうすぐ神さまのことを教えに来られることをつたえていました。バプテスマのヨハネは、「まがっている心をまっすぐにしなさい。」と言いました。神の子であるイエスさまをむかえるためです。
「しかし、この方をうけ入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされるとっけんをおあたえになった。」ヨハネ 1:12
イエスさまのでしのピリポは、友だちのナタナエルをイエスさまのところにつれて来ました。イエスさまはナタナエルを見て、「この人のうちにいつわり(うそ)はありません。」と言われました。