CAチャーチのアルファコース秋期が10月7日から始まりました。カナダの教会では地元の学校と同じで9月が新年度です。新しいシーズンで、これから12月の第1週までです。

今シーズンからリーダーの牧師がチェンジしました。アルファのブランディングも今年から代わり、教会で準備している資料や掲示物、旗や看板など新しいブランディングを反映し、新しいチャプターに入ったなぁと感じます。

あなたのお近くでもアルファコースを開催している教会や団体があるでしょうか。今日の想うことでは、そんなアルファの舞台裏を少しシェアします。舞台裏というとスタッフやボランティアのことかと思うでしょう。もちろん見えないところでお膳立てをしたり、サポートしたりします。私の教会での役割はまさしくそういう裏方であれこれ細かいことを手配したり、コーディネートするものです。

今日私のシェアする舞台裏は「神様の手配」です。人生を舞台に例えることは以前に取り上げたかもしれません。私たちの人生において、私たちはどちらかというと舞台に立っている役者のようです。聖書の「使徒の働き」でわかるのは、クリスチャンはエルサレムからユダ、サマリヤ、そして地の果てまでキリストの証人として生きることです。その証人としての生き方が舞台に表されます。そして、舞台裏では聖霊が私たちを満たし、道を示し、励まし、慰めるのです。そして目に見えないところで神はあらゆることをリードしています。旧約聖書でヤコブが、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言ったと書かれています。クリスチャンは幾度もこんな経験をします。そんな神様の目に見えない働きを垣間見ることがあります。新約聖書のエペソ人への手紙でパウロはこう諭します。「賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。(エペソ5:15b)」細かく気を配って、というのは神の働きに気を配ることです。

アルファは私たちの教会にとって中核となるミニストリーなので大々的に宣伝もしますし、教会の設備も最大限に利用します。その一環で、アルファを開催する大ホールにもテレビモニターを2台追加することになりました。私たちのアルファではバンケットスタイルのディナーを提供するので丸テーブルに10人ほどが座ります。大ホールも16台のテーブルで埋まります。角度によっては部屋の大スクリーンを見るには首を捻じ曲げるか、椅子を回転したりと大変なので、モニターを部屋の横につけようということになったのです。

新任のキャメロン牧師は早速見積もりを出したり、教会のテックチームリーダーと作戦を練っていました。

この単純な「モニターを手に入れる」行動が神の目に見えない働きを垣間見る機会を与えてくれました。ただ皆で主をたたえました。それはこういう経緯です。

モニターの手配の見積もりなどを始めた頃、キャメロン牧師は同僚とお昼を近くのレストランでとっていました。すると、そこには2台の大きなモニターがあったのです。サイズも欲しかったのと同じサイズでした。同僚が、安く売ってくれるかもしれないから聞いてみたら、ということで早速マネージャーと話したそうです。すると、なんと1台は売り払おうと思っていたそうです。ワールドカップ観戦用に買ったけれど、一台は場所をとるんでいらなくなったということでした。マネージャーの話では500ドルで売ろうという話だったそうです。ほとんど新品同様です。普通に買えば1200ドルはするものです。すかさずレストランのオーナーの連絡先をもらって購入の相談の連絡をとってみたのです。

すると、返事が返ってきて、「あなたたちは教会の人たちね。それなら教会に寄付します。税金還付用の領収書だけあればいいです。」と言うのです。

これだけなら、確かに神様の恵み!と言えますし、感謝です! しかし、神様には見えないところでまだまだ働かれていたのです。

オーナーはクリスチャンだそうです。しかし、最近は仕事が忙しく、レストランの経営に追われて全然教会にいけず落ち込む日々が続いていました。オーナーは、「モニターを引き取りに来る時でいいので、どうか私のために祈ってくれませんか?」とキャメロン牧師にお願いしたそうです。モニターをピックアップした時、祈りの時を持ったのです。その祈りの時は涙に溢れた時だったそうです。「贖い」というクリスチャン用語があります。それを思い起こさせます。失われていたものをイエスが買い戻したのです。そのオーナーの人生は忙殺されていましたが、イエスによってそこに「いのち」がイエスの贖いの故に与えられたんだと思いました。

アルファにしても、どんな教会の活動にしても、それらがスムーズに進んだり、必要が満たされるように祈り求めるべきです。でも今回のことを通して明かされたのは、神は常に人にいのちを、豊かないのちを与えたいと働かれている、ということです。

わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネ 10:10)