​このブログは8月に書いています。日本のニュースではお盆の交通ラッシュが取り上げられてました。実際のところ、いつも忙しくて、この時期だけしか休暇をまとめて取れないとも聞いています。帰省やバカンス(古いですか?)でゆっくり過ごす、というのが励みで一年頑張っている人も多いでしょうね。

デボーションで読んでいる”The Songs of Jesus” に「安息日」の歌、が出てきました。そこから想うことをシェアします。

詩篇92篇1~4節
賛歌。安息日のための歌
1 主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。
2 朝に、あなたの恵みを、夜ごとにあなたの真実を言い表すことは。
3 十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。
4 主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。

 

​安息、というのは休むことですね。創世記1章で神様が全ての創造のわざを終え、創世記2章に、神様が7日目に全て完成し、そのわざを「休まれた」とあります。そして、その7日目を聖なる日としたんですね。それが「安息日​」です。

「休み」とは、何もしないでいることを指すと考えがちです。ストレスや疲労回復には休日がカンフル剤の効果をもたらしてくれるかもしれません。良く、「何にもしないでボケっとしていたい、」とか「とにかくゆっくり寝坊したい」なんていうコメントを聞きますよね。

でも、私たちの心の中の、深い部分が潤って、喜んで、力を取り戻すには、休日ではなくて、安息日が必要なんです。心、そしてたましいの深みに届いてくれるのは、 私たちをその似姿に創造された神様 だけですから。神様こそ、本来の聖書の語る「安息」を私たちが過ごすによって、私達に喜びを増し加えて下さり、新しい力を与えてくれるのです。

 

では、何にもしないんではなくて、何をするべきでしょうか? この詩篇92篇にヒントがあります。この「安息日の歌」は、まず神様に感謝をし、ほめたたえることから始まっていることに注目します。 安息日には、私たちは、神様を神様としてあがめるのです。真実なる神様を讃え、感謝の賛美を捧げるのです。

ヘブル語の「安息」の語源が「御座に着座する=君臨する」ということを示すことも重要ですね。神様が全地を治めるのです。人の役割は何でしょうか?この世界・全宇宙は神様の神殿なんです。私たちは、統治している神様に仕える祭司です。壊れた現実・世界のもとに、神様との和解をもたらす使者なんです。神様から与えられているその召しを「安息日」に再確認して、力を、喜びをリチャージするんです。

(想う事シリーズの、「トーフーとボーフー」、さらに「天職」も参照してみて下さい)

​ケラー先生はこう祈ることを勧めています。あなたの安息日が守られますように。

「主よ、真実な礼拝を​通して与えられる休息と回復をどうか私に示して下さい。その休息にのみ、日々の心配、自意識過剰、不当に扱われることからの憤り、それらから解放されるからです。聖霊を私に送って下さり、私が「あなたのなさったことで喜び」、「あなたの御手のわざを喜び歌う」ことが出来るようにしてくださいますように。アーメン。」

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